世界のポルノ映画
世界のポルノ映画
黎明期の世界のポルノ映画
ポルノ映画の歴史は、一般の映画と同程度に長く続いています。
パトリックロバートソンのFilm Factsでは、以下のようにポルノ映画が解説されています。
この映画は、1908年にフランスで製作されました。
宿屋の使用人の女の子と逢い引きの約束をする疲れきった兵士の物語です。
しかし、ロバートソンは、アルゼンチンのポルノ映画El Satarioの方が、より古い可能性がある点にも言及しています。
この映画は、1907年から1912年の間に製作されたことが分かっています。
また、ロバートソンは、最古のポルノ映画は、アメリカのキンゼイコレクションに含まれていると述べています。
こういった古典的ポルノ映画において、ポルノの慣習的なお約束が、いかに早く確立されたかが分かります。
例えば、1910年の10分間のドイツ映画Am Abendでは、寝室で一人マスターベーションをする女性のシーンで始まり、男性とのセックス、フェラチオ、アナルセックスのシーンへと進んでいきます。
ポルノ映画は、1920年代のサイレント映画時代に、多くの売春宿で上映されました。
そして、多数のポルノ映画が数十年間に製作されましたが、
撮影と配布が秘密裏に行なわれたため、詳細を知ることは難しい状況にあります。
また、アメリカでは1934年に、性描写や暴力表現を制限するヘイズ・コードが制定されたため、一切の性的表現ができなくなりました。
しかも、1950年より以前に製作されたポルノ映画の多くは、永久に紛失されたと言われています。
1960年代から1970年代の世界のポルノ映画
1960年代には性的描写の取り組み方が変わってきました。
例えば、『私は好奇心の強い女』(1969年)や『愛の言葉』(1969年)といったスウェーデン映画には
かなりきわどい性描写がありました。
けれども、性描写の法的な位置付けを曖昧にするために、
これらの作品は擬似ドキュメンタリーとして作られました。
そして、1969年に、デンマークがハードコアポルノを合法化しました。
これにより、『Bordellet』(1972年)、『Jomfruens tegn』(1973年)などの
劇場用長編セックスコメディ映画が製作されました。
これらの映画にはハードコアシーンがありますが、一般の俳優が出演し、
ポルノ映画として認識されていません。
1970年代には、法規制が緩和されていきました。
アメリカや他の多くの国では、
「XXXレート(本格的ポルノと評価された映画)」の上映が許可されました。
1970年代の有名なアメリカのハードコア映画には、
ジェラルドダミアーノ監督の『ディープスロート』(1972年)、『グリーンドア』(1972年)、『ミスジョーンズの背徳』(1973年)、
ラドリーメツガー監督の『ミスティ・ベートーベン』(1975年)、『デビー・ダズ・ダラス』(1978年)
などがあり、映画館に上映されました。
特に、ニューヨークでは『ディープスロート』が評判となり、世の中に広く受け入れられました。
ここから、「Porno chic(おしゃれポルノ)」という言葉が生み出され、
文化的な趨勢として認められました。
日本では、真面目な芸術作品として、
大島渚監督、松田英子と藤竜也が主演の『愛のコリーダ』(1976年)があります。
1980年代の世界のポルノ映画
1970年代の後半から1980年代の初期の間に、家庭用ビデオテープレコーダが普及しました。
これにより、ポルノ映画産業は飛躍的な発展を遂げました。
そして、ロン・ジェレミー、クリスティ・キャニオン、ジンジャー・リン、ジョン・ホームズ、トレイシー・ローズといったアダルトスターが登場しました。
また、グレゴリー・ダークのようなアダルトで有名な監督が知られるようになりました。
家庭用ビデオテープレコーダのおかげで、アダルトの視聴者は、リラックスできる快適な自宅で、
他の人に内緒でポルノを観賞できるメリットを享受しました。
さらに、それ以上に注目されたこととして、特殊な妄想やフェティシズムを満たす選択肢が広がることとなりました。
1980年代には、カムコーダが普及したことで、ポルノが急速に変化していきました。
※カムコーダ(Camcorder)とは、video CAMeraと(当初は)videocassette reCORDERを合わせた造語で、ムービーカメラ(ビデオムービー)やキャムコーダーとも言われます。
人々はカムコーダを用いて、個人的な使用のため、あるいは他者に配布するために、アマチュアセックス映画を自作することが可能となりました。
そのような中、アダルトビデオ業界が、技術的に優れたソニーのベータマックスのシステムよりも、ビクターのVHSの方を選んだため、ベータマックスがVHSに規格争いで敗れるという事態が起きました。
映像の世界では、アダルトビデオ業界が主導権を握るほど経済的影響力が大きいということが、この一件で非常によく分かりますね。
1990年代の世界のポルノ映画
1990年代、2つのイノベーション(技術革新)によって、ポルノ映画を激変した。
一つ目はDVDで、より高品質の映像と音声を提供しました。
DVDは主要なハリウッドスタジオや民間消費者にも受け入れられました。
加えて、ポルノの製作者たちにもDVDは熱心に受け入れられました。
DVDによって、多様なカメラアングルによる高度な表現が可能となり、
またコンピュータで再生する場合には、内容が選択できる機能が追加された。
二つ目はインターネットで、それ以前のいかなる技術よりも圧倒的にポルノ映像の配信を高い次元へと導きました。
インターネットがあれば、アダルトショップに行かなくても、あるいは、通信販売で映像を注文しなくてもよく、
自身の持つパソコンやスマートフォン、タブレットなどにより即座に映像を楽しむことができます。
商品の到着を待つ必要がなく、数分あるいは数秒で映像をダウンロードできることは、
非常に画期的なことです。
ただ、そのようなインターネットの効果に反して、違法な猥せつ物への規制も厳しくなりました。
1990年代の著名なポルノ映画の監督には、ビブ・トーマス、ポール・トーマス、アンドリュー・ブレイク、アントニオ・アダモなどがいます。
1998年に、オスカーにノミネートされたデンマークの映画製作会社ツェントローパ(Zentropa)は、
公然とハードコアポルノを表現した映画「Constance」を製作し、ポルノ映画を製作する世界初の主流の映画会社となりました。
同じ年に、ツェントローパはラース・フォン・トリアー監督の「イディオッツ(Idioterne)」を製作し、たくさんの国際的な賞を獲得し、
例えば、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールにノミネートされました。
映像には、勃起した男性のシャワーシーンや、乱交パーティーでの性器挿入時のクローズアップシーンなどが含まれています。
ロッコ・シフレディ出演のカトリーヌ・ブレイヤ監督の「ロマンスX」と同様に、
「イディオッツ」は露骨な性的描写をウリにしていたため、一般映画界において世界的な波紋を起こしました。
1999年になると、デンマークのテレビチャンネルのカナル・ケーベンハウンが、夜間のハードコア映画の放送を開始しました。
この放送は暗号化されていなかったため、デンマークのコペンハーゲンではテレビ受像機で誰でも自由に視聴できました。
その後、ツェントローパが設立した会社イノセント・ピクチャーズの好意によって、放送は続きました。
2000年代の世界のポルノ映画
イギリスでは、ポルノへの検閲がより緩和されていき、イギリスでのポルノ映画の製作や出演は違法ではなく、
2005年以降には、露骨な性的内容の映画がイギリス全土のテレビで放映されています。
例えば、チャンネル4においてラース・フォン・トリアー監督の「イディオッツ」が、露骨な性的シーンがあるにもかかわらず、無検閲で放映されました。
2000年代初期においては、ポルノのサブジャンルとして、オルタナティブ・カルチャーを反映した型にはまらないポルノである「オールト・ポルノ(alt porn)」が、イーオン・マッカイ(Eon McKai)というアメリカ人監督によって製作されました。
そして2004年に、マイケル・ウィンターボトム監督が、マルゴ・スティリー主演の「9ソングズ(9Songs)」を製作しました。
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